~ ZATUBUN ~ 第40回 エッセイ『噺す』
~ ZATUBUN ~ 第40回
エッセイ 『噺す』

テレビを観ていたりして、時おり、“あぁ、この人は、なんて話が上手いの
だろう”と、感心させられる事があります。
たとえば、ある民放が放映している、笑福亭鶴瓶さんがメインパーソナリ
ティーを勤めるトーク番組で、その番組の最後に鶴瓶さんが、スタジオ観
覧されているお客様とテレビの前の試聴者へ向けて、毎回その回に出演さ
れたゲストの方にまつわるトークを一人でされるパートがあるのですが、
私はこのごく数分(おそらく、1~3分程度)のトークを観る度に、前記
したように感心させられるのです。
“あぁ、この人は、なんて話が上手いのだろう”と。
勿論、鶴瓶さんは、れっきとした噺家の方で、“話す”ことのプロなワケ
ですから、上手くて当たり前といえば、それまでなのですが・・・
実際には、プロといえども、なかなか本当に“上手いなあ”と感心させら
れるような人は、けっして多くないように私は感じています。
では、前記した鶴瓶さんのトークのいったい何処に私は感心させられるの
か?というと・・・
それは、鶴瓶さんの話が常に“その話を聞く相手が、自分が話そうとして
いる事柄を知らない“という前提で話している、という事なのです。
これは一見、あたりまえの事のように感じるかもしれませんが、こうした
ことを前提に話をしたり、文章を書いたりする事が出来ている人というの
は、実はけっして多いものではありません。
大概の人が(おそらく私もその内のひとりですが・・・)、“聞き手(ある
いは読み手)が、自分が伝えようとしている事柄を知っているであろう“
という推測、もしくは前提の上で話をしたり、文章を書いたりしていると
思います。
中には、“こんなことは知っていて当たり前”というような“独りよがり”
な考えの人なんていうのも、けっこう多く見うけられたりします。
そうした、ある種“相手依存”ともいえる話や文章というのは、実は“聞
き手”あるいは“読み手”の側にとっては、けっこうつらいものであり、
ストレスを感じさせることでもあるのです。

前記した鶴瓶さんの場合、あくまで聞き手であるスタジオ観覧のお客様や
テレビの向こう側にいる視聴者に自分の話す内容がきちんと伝わるよう、
さりげなく気遣っているのが感じられるのです。
それでいて、その話はけっして長くなく短い尺の中の納まるよう完結して
いるのです。
ごくわずかな、3分程度の尺の中で、自分の伝えようとする事を相手に解
るように話すというのは、実は恐ろしく難しい。
それを、さらっとしてみせる鶴瓶さんを見ていて、
“あぁ、この人は、なんて話が上手いのだろう”と、思わずにはいられな
いのです。
では何故、鶴瓶さんのそのトークを見て、聞いてそう感じるのか?
それは、その話がきれいに完結している、ということもあるのですが、な
によりも前記したように“その話を聞く相手が、自分が話そうとしている
事柄を知らない“という前提で話している・・・、つまりは聞き手側の立
場に立って、その相手を思いやった上で話しているから・・・
私には、そのように思えるのです。
自分の話す内容を相手に伝えたいという思いと、その相手にどのように話
したらそれが伝わるのかを、相手の立場に立って考えた上で話をすれば、
“話すのが苦手”な人や“私は口下手”という人であっても充分に相手に
伝わる話が出来ると、私は思っています。
そしてそれは、文章であっても同じことだと思うのです。
読み手の側に立って書いた文章であれば、伝えたい内容はわかってもらえ
るのではないかと・・・
私は、なんとかして読み手に思ったように内容が伝えられるような、そん
な文が書けるようにと思いながら、今日もこんな文を書いているのです。

Ward & Photo by 陳 笈
by endow2004jp | 2010-04-29 12:50 | ZATUBUN





















